子どもたちの “嫌がらせ” に耐える教師たち 生徒が放った言葉に唖然…【西岡正樹】
子たちはなぜ不満を溜め込んでしまったのか?
◾️子どもたちの「嫌がらせ」は繰り返された。その時…
5年生の子どもたちは、低学年の子どもたちの理不尽さと違い、自分の言葉が相手にどれだけダメージを与えられるのか、それを分かって発言している。Y教諭にもそれが分かっているから、尚更ダメージが大きかった。
それ以後も、子どもたちの「嫌がらせ」は繰り返された。
授業中の机間巡視の時だ。子どもたちの理解度や丁寧さを理解しようと、一人ひとりのノートを見て回っていた。哲夫(仮名)のノートが気になった。ノートの内容を確認しようと前かがみになった瞬間、耳元から声がする。
「近づかないでよ」
体が硬直し、一瞬動きが止まった。
この現状では、ひとりの理不尽な行動は連鎖していく。それから、机間巡視をする度に声がした。
「来るなよ」
そして、そのような声はただ傍を通るだけで聴こえるようになった。Y教諭にはそれに抗する言葉もエネルギーもない。それ以降、「汚い」「来るな」「触るな」という声が続いた。
確かに、よく見れば、すべての子どもが同じような行動をとっている訳ではないのは分かっているが、子どもに近づくのがだんだんと怖くなっている自分がいた。
こんなこともあった。
ある時、後ろの壁に絵を掲示するために、ロッカー(高さ1m強)の上で作業していた。ロッカーの奥行が40cmぐらいしかなかったので作業しにくい、壁に体があたってふらつくことも時々ある。その時もそうだった。体を反転させようとしたら肩が壁に当たった。体がふらつく。「危なー」そう思った同じタイミングで声がした。
「そのまま落ちれば良かったのに」
女の子の声だ。その言葉は、Y教諭の心の奥底に突き刺さった。
限界かもしれない・・・
ロッカーの上で、Y教諭は負けそうになる自分と必死に戦っていた。
Y教諭への理不尽な言動は、教室の中だけではなく、LINEやタブレット、「Classroom」(学校内の情報伝達ソフト)などのオンラインでも、多くの誹謗中傷が飛び交っていたことをY教諭は後に知った。
学年末には、Y教諭の心身が我慢の限界線を越えているのは、他者の目からも分かった。相当危うい状況だったのだが、それでもなんとか持ちこたえることができた理由は、何だったのか。
「子どもたちの気持ちが離れていったのも突然ではなかったはずですから、途中で自分が気付いていたら何とかなったのではないかな・・・。子どもたちも初めからやりたくてやったのではないし、不満を我慢している時は、子どもたちなりの辛さがあったんだと思います。こうなったのは自分の責任ですから、簡単には辞められません」
Y教諭の言葉はいつも謙虚だ。その後に語られたことも、自分が起こしたことであるという自責の念が中心だったが、自分がいなくなると、「いじめられている子どもがもっと酷くいじめられるのではないか」ということや「他の先生方に大きな迷惑がかかる」ということも、我慢できた要因だったとY教諭は振り返った。
こんなにも心身が疲れ果て、辛さの限界に来ていたにもかかわらず、「このような状況になったのはすべて自分の責任であって、子どもも被害者だ」という立場をY教諭は崩さなかった。
「そうか、『自分は被害者ではない』。この思いの強さが、我慢の限界線を越えても教室に留まる理由なのか」私はその強さに感心させられたが、一方で「この我慢をすべての教師に求めるべきでない」とも強く思ったのだ。